平安時代の「美しさ」は、今の基準とはかなり違っていました。白い肌や長い黒髪、描き上げられた眉や小さな口など、衣服や化粧、言葉遣いまで含めた総合的な印象が重要視されました。今回は古典や絵巻、記録から読み取れる「モテる顔」の要素を、当時の文化や暮らしと結びつけてわかりやすく紹介します。
平安時代のモテる顔はこう見えていた

平安時代の理想的な顔立ちは、化粧と髪型、振る舞いを合わせたトータルな印象で決まっていました。顔そのものの形よりも、肌の白さや眉・唇の描き方、髪の手入れ具合が重視され、上品さや内面の教養が美しさを補強しました。
白い肌は格式や清潔感の象徴であり、肌を手入れし見せる技術が磨かれていました。長い黒髪は女性らしさの代表で、髪の流れや光沢が顔を際立たせます。眉や口の形は意図的に整えられ、顔全体で落ち着いた印象を作ることが目指されました。
また、和歌や読み書きといった教養があることが好まれ、外見と内面がリンクして評価されました。単に顔の造作だけでなく、衣服や香り、小物づかいまで含めた総合的な美意識が「モテる顔」を形作っていたのです。
白粉でつくる白い肌
平安時代の白い肌は見た目だけでなく、身分や教養の象徴でもありました。庶民が屋外で働くことが多い一方、貴族は屋内で過ごす時間が長く、白い肌は外に出ないことの証とも受け取られました。白粉を使って顔を整えることで、肌のムラや影を隠し、均一で滑らかな印象を作りました。
白粉は米や鉱物を原料としたものが用いられ、塗り方にも技術が必要でした。厚塗りにせず、自然に見せることが好まれました。また、化粧は単なる美しさの手段だけでなく、儀礼や季節行事での身だしなみとしても求められました。化粧をすることで社交の場にふさわしい礼儀を示す意味もありました。
肌の白さを強調するために、頬や顎の陰影にも注意が払われました。顔全体のトーンを整えることで、目や口元がより際立ち、上品で落ち着いた美しさが生まれたのです。
長い黒髪が顔を引き立てた
長い黒髪は平安女性の最大の魅力の一つでした。腰や膝まで届くほどの髪は、手入れと時間をかける余裕のある生活の象徴でもありました。髪の光沢や流れが顔周りのラインを柔らかくし、肌の白さを引き立てる役割を果たしていました。
髪の手入れは日常の重要な作業で、油や櫛入れ、手で撫でることなどで艶を出していました。特別な場では絹の布で結い上げたり、簪や装飾でまとめて見せ方を変えました。髪の長さや状態は健康や生活の豊かさを示すサインでもありました。
また、髪を垂らすか結うかで印象は変わります。散らした黒髪は柔らかさや女性らしさを強調し、結い上げた髪は整った雰囲気や格式を与えました。顔と髪のバランスが整うことで、全体として穏やかな美しさが演出されました。
眉を高く描く習慣
平安時代には眉を整え描く習慣がありました。天然の眉毛を剃り落としてから、位置や形を変えて描くことが一般的で、これにより顔の表情や印象をコントロールしていました。高めに描かれた眉は上品で優雅な印象を与えました。
眉は顔のフレームとして重要で、目元の表情を引き立てます。細く整えられた眉は控えめで落ち着いた表情を作り、全体の調和を保つ役割がありました。描き方や色は場面や年齢によって変えることもありました。
眉の手入れは個人の美意識を表す行為で、鏡や侍女の手を借りて丁寧に仕上げられました。顔全体とのバランスを考えて眉を整えることで、穏やかで品のある印象が完成しました。
小さく見せる口元の表現
平安期の美意識では、口元を小さく見せることが好まれました。唇の赤味は紅で加減し、口の形も控えめに整えられました。小さな口元は内面の落ち着きや慎み深さを連想させ、品格を高める要素となっていました。
紅の色味や塗り方には流行や年齢による差があり、場に応じて強さを調整しました。口元を強調しすぎず、目や眉とのバランスを意識して仕上げることが重視されました。
唇の形を整えることは、会話や歌の場面での印象にも影響しました。穏やかな口元は話し方や振る舞いと結びつき、総合的な魅力として評価されていました。
和歌や教養が魅力を高めた
平安時代では、外見だけでなく和歌や文章の力が人の魅力を大きく左右しました。教養のある人は言葉で感情を伝え、深い趣を感じさせるため、顔の印象と合わせて好意を得ることが多くありました。
和歌は短い表現で感性を示す手段であり、恋愛のやり取りや社交の場で頻繁に用いられました。相手の教養を感じさせる言葉遣いや着物の合わせ方、香の嗜みなどが一つのセットとして評価されました。
見た目の美しさは入口に過ぎず、言葉や振る舞いが内面の魅力を伝える重要な要素でした。顔と知性が一致することで、より強い魅力が生まれていたのです。
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古典に残る顔の描写から分かること

古典文学や記録には、当時の美意識が細かく描かれています。物語や随筆、日記の表現を読み解くことで、平安時代の「美しさ」がどのように語られ、受け取られていたかを知ることができます。
描写は時に理想化され、実際の暮らしや身分差を覆い隠すこともあります。そこからは理想像としての平安美人と、記録に残る個々の人物像の両方を見て取ることができます。
源氏物語に見る美女の描写
源氏物語は貴族社会の美意識を豊かに伝える作品で、美女の描写が多彩に登場します。桐壺や六条御息所など、光源氏を惹きつける女性たちは肌や髪、化粧だけでなく振る舞いや言葉の魅力まで細かく描かれています。
物語では外見が人物評価の一部を成しますが、内面の感情や精神状態も重視されます。そのため美女描写は単なる容貌の説明に留まらず、その人物の立場や心情を表す手段として使われています。
また、源氏物語の描写には当時の流行や象徴的な表現が織り込まれており、当時の美的基準を知る重要な資料となっています。
枕草子の顔の表現
枕草子は感性を鋭く描く随筆で、顔の美しさについても独特の視点が見られます。清少納言は好ましい顔立ちや仕草を機知を交えて列挙し、同時に滑稽さや欠点も率直に記しています。
文章は具体的な場面描写や比較を通して、どのような顔や振る舞いが好まれていたかを示します。美しさは固定的なものではなく、状況や個人の感覚で変動することが伝わってきます。
枕草子からは、当時の美意識が単に形式だけでなく感覚やユーモアとも結びついていたことが読み取れます。
日記や和歌の外見記述
貴族の日記や和歌には、人物の外見を短く示す記述が散見されます。誰かの容貌を賛美したり、対比して記すことで、その場の感情や人間関係が伝わります。和歌は外見を表す素材として季節感や自然の描写と合わせて使われることが多いです。
こうした記録は断片的ですが、当時の人々が何を美と感じ、どのように他者を評価したかを知る手がかりになります。日記の筆者の主観も含まれるため、多様な視点が得られる点が貴重です。
絵巻に描かれた顔の表現
絵巻物は当時の視覚表現を伝える重要な資料で、顔の省略や強調が見られます。顔そのものが細かく描かれることは少なく、衣装や髪、姿勢で人物の性格や魅力を表現することが多いです。
絵師は観る者に印象を与えるため、ポイントとなる要素を強調しました。顔の表現が簡略化される一方で、髪や化粧、持ち物が豊かに描かれ、総合的な美の表現が重視されていたことがわかります。
平安美人は褒め言葉か
「平安美人」という表現は理想像を指すことが多く、単純に褒め言葉として使われただけではありません。作品の中では社会的地位や教養、振る舞いと結びついた褒め方がされ、外見だけでなく総合的な人物評価が含まれていました。
そのため現代の単純な「美人」とはニュアンスが異なり、文化的背景を理解することが重要です。
物語と史実の違い
物語は理想化や演出が入るため、史実の人物像とは異なる場合があります。物語内の美女像は読者や聞き手に印象づけるために誇張されたり、象徴化されたりします。一方で日記や公式記録はもう少し具体的な情報を残すことが多いです。
この違いを踏まえて各資料を読み比べると、当時の多面的な美意識が見えてきます。
語り方が理想像を作った
語り手の視点や表現の好みが、理想の顔を形作ってきました。物語や随筆の言い回しが広まることで、具体的な顔の特徴や化粧法が流行として定着していきました。これにより「平安美人」という共通のイメージが社会に根付いたのです。
語り方が作る理想像は、当時の人々の想像力や文化的価値観を反映しています。
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化粧と髪型で作られた顔の印象

顔の印象は化粧と髪型で大きく変わります。平安時代はこれらが高度に発達しており、見せ方の工夫が多彩でした。白粉や紅、眉の整え方、髪の手入れや装いが一体となって個々の美しさを作り上げていました。
日常的な身だしなみとしての化粧は礼儀や社会的役割とも結びつき、髪型や小物の選び方一つで印象が変わる文化が育ちました。
白粉と紅の使い方
白粉で下地を整え、紅で唇や頬に色を添える技法は基本中の基本でした。白粉は肌のトーンを均一に見せ、紅は顔に生命感を与えます。塗り方は控えめさが好まれ、自然な調和を目指していました。
紅は濃淡を調整して年齢や場面に合わせることがあり、顔全体のバランスを見ながら仕上げられました。これらの化粧は単に美しく見せるだけでなく、社交や儀式での礼儀としての意味も持っていました。
眉の剃りと描き方
眉を剃ってから新たに描く習慣は、顔の印象を自在に変える手段でした。高く細く描くことで上品で気高い印象を作り、位置や角度で表情のニュアンスを調整しました。描画には筆や色を用い、色の選び方も重要でした。
眉は顔全体の重心を決める要素であり、他の化粧とのバランスを考えて仕上げられました。剃る作業自体も身だしなみの一環として手間をかけて行われました。
長髪の手入れと見せ方
長髪は日常の手入れが大切で、櫛入れや油で艶を出す作業が欠かせませんでした。髪をそのまま垂らすことで柔らかさを演出し、結い上げることで格式を示しました。髪の状態は生活環境や身分を反映する要素でもありました。
特別な場面では簪や飾りで髪をまとめ、顔周りの印象を整えていました。髪と顔の調和が、全体的な美しさを形作っていました。
歯を黒くする風習はあったのか
平安時代には、後世に知られるような一般的な「黒歯」の風習はまだ広範には定着していなかったと考えられます。ただし、時代や地域、階層によって歯の手入れや着色に関する慣習は異なるため、一概には言えません。
文献や絵画資料からは明確な証拠が不足しており、黒歯の習慣が目立つのは中世以降の資料が多いのです。平安期の美意識ではむしろ白い肌や滑らかな肌質が重視されていました。
衣装や装飾で顔を引き立てる
着物の色合わせや襟元の見せ方で顔の見え方は大きく変わります。色の組み合わせや襟の高さ、重ねの枚数が顔周りの印象を作るため、服装は化粧と同様に重要な要素でした。
装飾品や小物もアクセントとして使われ、顔の印象を引き立てる効果がありました。それぞれの要素を調和させることで、より上品で魅力的な雰囲気を作ることができました。
香や小物で雰囲気を作る
香は肌や衣服に香りを添えることで、その人の雰囲気を補強する役割がありました。香の種類や焚き方で趣を変え、会話や和歌の場で相手に良い印象を与える手段となっていました。
扇や文具などの小物も持ち物から性格や教養が伝わるため、トータルでの雰囲気作りが重要視されました。
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誰が本当にモテたのかと理由

平安時代に実際に好かれた人々は、見た目だけでなく教養や立場、人間関係の巧みさが影響しました。物語に名を残す人物と史実の記録に現れる人物を比べると、評価の要素が多面的であることが見えてきます。
美しさは入口にすぎず、歌や言葉、振る舞いで人々の心を掴むことが重要でした。身分や親族関係も人気に影響を与える要素でした。
小野小町や藤原定子の実例
小野小町は和歌の才を通じて美の伝説が作られた人物で、容姿の評伝は後世の脚色も含まれます。歌を通じて人々の心を動かしたため、その魅力は言葉と結びついて語られてきました。
藤原定子は宮廷での振る舞いや教養、立ち振る舞いで知られ、容貌だけでなく人としての魅力が高く評価されました。こうした実例からは、外見に加えて内面的要素が重要であったことがわかります。
平安美人のランキングと根拠
現代に伝わる「平安の美女ランキング」的な話は、後世の視点や物語的な装飾が混ざっていることが多いです。記録に基づく評価と物語の理想像が合わさることで、人気の高い人物像が形成されました。
ランキングの根拠には和歌の才能、家柄、宮廷での立場、そして物語での描かれ方などが含まれます。どれか一つではなく複数の要素が重なって評価されました。
和歌や教養で人気を得た人々
和歌や漢詩、文章のやり取りを通じて人々は交流し、教養ある人物は尊敬や好意を得ました。特に恋愛においては、言葉で相手に響くことが大きな力となりました。
教養は会話や贈答に生かされ、相手の心情に寄り添うことで関係を深める役割を果たしました。これにより見た目以上の魅力が育まれました。
美の評価と身分の関係
身分が高いこと自体が美的評価を高める要因でした。高貴な身分は教育や装飾、時間的余裕を与え、それが美しい外見を維持する土台になりました。逆に身分が低いと同じ手入れができないことが多く、評価に差が出ました。
そのため美の評価は個人の魅力だけではなく、社会的背景と不可分に結びついていました。
物語の描写と現実の差
物語の描写は誇張や象徴が多く、史実とは距離がある場合があります。物語は理想を示し、読者の想像力を刺激するために美を強調しました。一方、現実の記録はより具体的で雑多な面を含みます。
この差を理解することで、物語の美女像を文化的なイメージとして楽しむことができます。
芸能人で見る平安美人の現代比較
現代の芸能人で「平安美人」を連想させる人を例にすると、白い肌や艶のある黒髪、控えめで品のある表情を持つ人が該当しやすいです。ただし現代基準では表情や演技力、メディアでの発信力も重要になります。
比較することで、時代が変わっても残る美しさの要素と変化した基準が見えてきます。
男女で異なるモテ基準
平安時代の男性の魅力は容貌だけでなく、権威や官職、詩歌の才が評価されました。女性と同様に教養が重要視されましたが、社会的な立場や役割が評価基準に強く影響しました。
男女それぞれに求められる要素が異なり、両者の組み合わせで関係性が築かれていきました。
平安時代のモテる顔を振り返る
平安時代の「モテる顔」は、白い肌や長い黒髪、整えられた眉や小さな口などの外見要素と、和歌や教養、振る舞いといった内面的要素が一体となったものでした。衣装や香り、小物遣いまで含めたトータルな印象が重視されており、時代背景や身分が評価に大きく影響していました。
現代と比べると基準は異なりますが、人を惹きつける要素として外見と内面の両方が重要である点は変わりません。古典を通して当時の美意識に触れることで、昔の価値観や文化の豊かさを感じ取ることができるでしょう。
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